最終更新2023.03.11
3.東日本大震災の遺構2022年3月11日
2.地すべりと津波堆積物2021年3月11日
1.液状化現象2020年3月11日
2022.03.11
3月11日,それは言うまでもなく,2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)が引き起こした極めて大規
2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)の発生から11年目です.東日本大震災を引き起こしたこの地震による巨大津波は東北地方を中心に激甚な災害をもたらしました.この10年間でハード面ではかなり復興が進んできたと言えるでしょうが,それぞれの地域で事情は様々,その産業や生活を含めた復興まではまだまだという所が少なくないようです.未だ行方不明者が2533人もいて捜索活動が続いています.
一方では,甚大かつ多様な震災であっただけに,その記憶,教訓を風化させてはなりません.まだまだ震災から多くのことを学び取り後世に伝えていくことが必要と思います.それには何が実際に起こったのかを理解することが大事で,その意味で,災害遺構,記念碑や伝承館などは非常に意味があるものと思います.
震災伝承ネットワーク協議会事務局(国土交通省東北地方整備局企画部)
三陸海岸の田老を2016年に訪れた時,3.11の津波で被害を受けた「たろう観光ホテル」がそのまま残されていました(写真).現在は「津波遺構たろう観光ホテル」と言う遺構として,整備が進められたようです.
4階まで浸水した.1,2階は破壊され鉄骨のみ残った姿で保存.
近くにあった「1級登記基準点」は地殻変動により東南方向に2.18m移動,0.31m沈下した.
震災の翌年に訪れた、気仙沼波路上地区の気仙沼向洋高校など一帯の状況には非常に衝撃を受けました.今地形図で見るとその位置に震災遺構・伝承館と書かれた建物があります.この「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校)」のホームページを見ると,破壊された校舎や津波で押し流されてきた車などの堆積物など生々しい被害がそのまま残されている他,映像や展示物でも当時を知ることができます.
その他、石巻には様々な遺構が残されています.
校舎、プール、屋外運動場などが遺構として残されています.
2022.4.3から一般公開される震災遺構.
石巻市震災遺構門脇小学校のすぐそばにある震災伝承交流施設.
以上紹介した以外に極めて多数の震災遺構や伝承館等がありますので,ぜひ皆さん訪問されるよう、お願い致します.
2021.03.11
3月11日,それは言うまでもなく,2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)が引き起こした極めて大規模な津波があった日です.
この巨大な津波は東日本の海岸を激しく襲い,激甚な災害を起こしました.その被害の甚大さと広がりから東日本大震災とよばれました.この津波は福島第一原子力発電所をも被災させ,私たちが経験したことのない災害に至りました.
ここ1-2週間は,各メディアがこの災害や復興の状況,課題,教訓を幅広く取り上げています.私たちはこのかつてなかった災害を風化させず,長く教訓を学び続ける必要があると思います.
各メディアが取り上げている問題は極めて多様です.過去形では語れない問題が沢山あります.復興はまだまだ途上にあるということです.特に,生まれ育った地域コミュニティが失われ,そこでの生活や人とのつながりが断ち切られた状況からの復興は,とりわけ長い年月を要することでしょう.
ここでは,地盤に関係する問題と,過去の災害履歴を知る手段としての研究上の課題について触れてみたいと思います.
≪繰り返される盛土宅地地すべり≫
東日本大震災でも宮城県を中心に多数の盛土地盤の宅地で地すべり被害が生じた問題について,京都大学防災研究所の釜井教授のインタビュー記事が掲載されました(朝日新聞2月27日夕刊).主に丘陵地帯において土地を造成するために,尾根の部分を削って谷部分を埋めることで生じる,谷埋め盛土で生じる地すべりです.
この災害は,1978年宮城県沖地震の時から分かっていた問題であるのに,いまだに各地で繰り返されているという点が重要です.1995年阪神大震災でも,2004年新潟県中越地震でも、2016年熊本地震でも,2018年北海道胆振東部地震でも起こりました.谷埋め部分に水が集まり,強い振動で液状化を起こす,というメカニズムから,排水管を埋設して水を抜く必要がありますが,この排水管は時間がたつと詰まってしまう.しかし,これをメインテナンスする仕組みがないということで、釜井教授は排水管の共同管理が急務であると語っています.こうした全国に多数ある谷埋め盛土の造成地に住む住民は,どんな条件のところに住んでいるのかを自ら理解しなければならないのが現状です.東日本大震災では大規模な津波災害に隠れてしまった感のある災害ですが,重要な指摘であると思います.
昔の津波を知るにはどんな方法があるのですか?
「津波堆積物」って聞きますね.化石でもわかるのですか?
かつて津波が来たことがあるかどうかを,珪藻化石を分析して推定する研究がしばしばなされてきました.宮城県の広域で1000年前の堆積物から海にすむ珪藻が見つかり,1000年前に極めて大規模な津波がこの地域を襲ったことが分かりました(産総研の津波研究チームによる).すなわち1000年に1度クラスの大規模津波が東北地方で起こることが提唱されたのは,実は2011年よりも前の事でした.私たちはこの事実を活かすことができなかったのは,痛恨の極みと言わなければなりません.
最近,珪藻土のマットとか流行ってますね.そもそも珪藻ってなんなのですか?
珪藻は光合成をする藻類の仲間です.ガラス質の殻を持ち,そのサイズはとても小さく基本的に1mmにも満たないとても微小な生き物です.この珪藻は水と光さえあれば何処にでも生息しています.また,種によって生息範囲が異なるため,陸には陸の,川には川の,湖には湖の,海には海の珪藻がそれぞれ生息しています.
そんなに小さくてどこにでもいる生き物の化石から,どうやって大きな津波があったかどうかがわかるのですか?
例えば,陸上の堆積物を調べて,その中から海水にすむ珪藻化石が沢山見つかれば,それは高潮や津波などのイベント堆積物の可能性があると分かる訳です.
なるほど.わかりやすいですね.
しかし,2011年の東日本大震災東北で襲来した津波堆積物に含まれる珪藻化石は,複雑な組成を示すものでした.つまり,言い換えれば過去に津波が到達したことを証明することはそれほど単純ではない場合が多いという事です.
え!どうしてですか?実際の津波堆積物の珪藻化石ではどうなっているのですか?
実際に,3.11の津波に襲われた場所で採取された試料を分析して,学会で発表しました.採取場所は,宮城県の石巻・東松島・名取・亘理で,津波によって堆積したことが分かっている砂です.今となっては得難い基礎研究になるはずです.
結果は,意外に淡水生の珪藻が多く,多様な環境,例えば湖沼,湿地,土壌(水田を含む),河川水,干潟,海水,などに生息する種類が入り混じっていました.この多様性自体が津波堆積物の特徴の1つ(写真1,図1)になるのでしょうが,ほかにも,珪藻の殻が非常に破砕されていることや,一方で非破壊の殻も意外に多いことも挙げられます.
こうした特徴は,この津波が陸域に遡上した後,河川や水田をはじめとする様々な環境を駆けめぐったことを考えれば不思議ではありません.
引用文献
Noguchi,M., Kashima,K. (2013) Diatom aseeemblages of coastal Tsunami sediments deposited in 2011 Tohoku earthquake. The 10th East Eurasia International Workshop, Gwangju, Korea, p.72.
2020.03.11
それは言うまでもなく、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)に発する極めて大規模な津波です。その被害の甚大さと広がりから東日本大震災とよばれました。まだまだ復興も半ばという所が少なくありません。私たちは決してその経験を風化させてはならないと思います。
この3.11から早くも9年目となりました。この教訓を今後に生かすためにも、甚大な災害について何度も振り返ってみることが大事です。
様々な媒体によって3.11の記録を見ることができますが、Google Earthでは、津波直後の画像を見ることができます。当時の状況と現在を比較することができますのでおすすめです。
GoogleEarthでの操作
1.見たい地域にズームする。
2.ツールバーの時計ボタン(過去のイメージ)をクリックする。またはメニューバーの表示>過去のイメージをクリックする。
3.スライダーを動かし表示したい日時を選ぶ。
首都圏でも液状化現象が極めて広い範囲で発生し、津波による被害もありました。長時間にわたる長周期の揺れは高層ビルを脅かしました。
液状化現象の発生は図1からわかるように、沖積層の厚さ分布とは関係なく、利根川沿いでは旧河道・沼沢地を埋め立てたところなどで、東京湾に面しては特に千葉県の浦安市から千葉市にかけての埋立地で多数発生しました。浦安市の液状化災害はこれまでに例を見ないほどのもので、液状化災害の実態を詳細に解析するとともに、本震と29分後の余震、さらに長く継続した長周期の揺れが関係したことなどを解明した安田・原田(2011)やYasuda et al. (2012)などの論文は記憶に鮮明です。手に入る方は是非お読みください。
また、この津波の実態を後世に残すために大変な努力をされた方がいます。この津波がどの範囲のどの高さまで及んだか、河川に沿ってどこまで遡上したかを、基本は足で歩いて調査したのは原口強さんです。岩松さんの協力を得て東日本大震災津波詳細地図、上巻、下巻として出版されています。この前書きにある通り、「今を正確に受け止め、地域の50年先、100年先を見据える上での資料となる」と思います。
引用文献
遠藤邦彦(2015,2017改訂)日本の沖積層.冨山房インターナショナル,415, 475p.
安田 進・原田健二(2011)東京湾岸における液状化被害.地盤工学会誌,59(7) ,38-41.
Yasuda,Susumu, Kenji,Harada, Keisuke,Ishikawa and Yoshiki,Kanemaru (2012) Characteristics of liquefaction in Tokyo Bay area by the 2011 Great East Japan earthquake. Soils and Foundations 52, (5) 793-810.
原口 強・岩松 暉(2011)東日本大震災津波詳細地図.古今書院,(上)167p,(下)97p.
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