更新2021.09.25
2020.09.14
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防災科学技術研究所ライブラリー「高い尾根を乗り越えたり大津波を起こしたりする巨大崩壊による岩屑なだれ -1970年ペルー地震によるワスカラン岩屑なだれ,1984年長野県西部地震による御岳崩れなど」
遠藤・隅田
1984年9月14日には長野県西部地震が発生し,後に御嶽崩れとよばれた山体崩壊が発生しました.地震のマグニチュード6.8で,震源は御嶽山の約10㎞南東で,まさに直下型地震が御嶽山を襲ったわけです.
この地震によって御嶽山やその周囲には多数の斜面崩壊が起こりました.中でも御嶽山の南側の尾根の一つがほとんど丸々崩壊しました(写真).この卵型の崩壊地形は450mⅹ1300m,崩壊土量は3400万m3 と見積もられています.
崩壊した尾根をつくっていた溶岩や火山灰・土壌の大小のブロックが大量に流下し、伝上川を下り,濁川に合流し,さらに王滝川に下って2㎞程流下し、王滝川の狭窄部で止まりました.崩壊源からの流下距離は約13㎞,停止位置との高度差は1600mでした.濁川温泉の宿は深く埋まり、犠牲者が出ました.
ここで大事な情報は,地震の発生時刻は午前8時48.9分,下流で作業していた森林作業員が8時49分に雷鳴のような大きな音を聞いていることで,崩壊の発生はほぼ地震発生と同時と見られることです.さらに,流下距離10㎞付近で,上記の流れが8時56分に通過したと目撃されているので,7分で10㎞を通過したことになり,その流下速度は時速70~90㎞となります.
このような高速な流れは,岩屑なだれとよばれます.私たちはその堆積物を調査して、第1波、第2波、第3波に分けました.第1波は最初に到達したもので,溶岩ブロックや火山灰・土壌のブロックがそのまま堆積した岩屑なだれ堆積物の特徴をもったもの,第2波はブロックはほとんど水でばらばらになったマトリックスを形成しているが表面はやや凹凸を示すもの、第3波は水で飽和されて表面が滑らかな平面になっているもので,下からこの順番になっていました.
私たちは,崩壊源から出発した岩屑なだれが,谷の斜面などの表層物質や植生を削り取って取り込みながら高速で流下し,継続流は湧き出す大量の水を取り込み,岩屑流に姿を変えながら流下していったと考え,総堆積量は3400万m3から増量して、5400万m3となったと考えました.こうした流下後にわかる流下時の様子は続報で見て頂きたいと思います.
以上は,下記の論文から紹介しました.
K.Endo, M.Sumita, M.Machida & M.Furuichi (1989) The 1984 Collapse and debris avalanche deposits of Ontake Volcano, Central Japan. Volcanic Hazards (J.H.Latter ed.), 210-228. IAVCEI Proceedings In Volcanology 1.
写真3
第1波のシマシマ,境界は直線的で混じりあうことがない(撮影:町田光雄)
その結果の一つが町田君が描いた図2です.細長い個々の帯は,色合いを異にする溶岩塊でできていたり,黒色土壌であったり,褐色ロームであったり,帯と帯の間はまじりあうことなくシャープに分かれています(写真3).それぞれ波状を呈したり皺をつくっていたりしますが,基本は並行しています.私たちはこの帯のでき方は,水に飽和されていず,多様なブロックが全体としてはまじりあうことなく流れ下る岩屑なだれの特質を表していると考えました.通常の岩屑なだれは,堆積場に多数の流れ山を残します.流れ山は普通は同一の,あるいは複数のブロックで構成されています.そういう流れが,ものすごい勢いで尾根に乗り上げ、溶岩台地上に残されたのですから,流れ山になってもおかしくない個々のブロックが流れによって引き伸ばされて帯状になったのだと.
写真4
崖に張り付いた第2波の堆積物(撮影は遠藤)
第1波の後すぐに第2波が来ましたが,第1波によって削られた斜面から大量の地下水が噴出して,流れの性質はその水を大量に含んだものになりました.しかし水によって飽和されることはなく,谷の斜面に張り付いて残るほどの粘着性を持っていました(写真4).さらに時間をおいて発生した第3波は大量の水で飽和された,大きな岩塊を含まない方規模な泥流状のものでした.この第2波は伝上川の谷の中を流れ下り濁川に合流しました.したがって溶岩台地の上は第1波の堆積物が薄く引き伸ばされて堆積した後,後続流に覆われることはなかったのです.
写真5
雪面の堆積域に流れ山状に突き出た岩屑なだれ堆積物のブロック(撮影は遠藤)
実は,この崩壊で発生した流動体をめぐって議論がありました.濁川やさらに下流の王滝 川の谷底には第1波の堆積物を第2波の堆積物が覆ってたまっていました.これを見た研究者は斜面からの大量の地下水全体としてはの流出を考えて,水で飽和された岩屑流であると考えました.写真5は柳瀬というあたりです,第2波、第3波の堆積物が表面に露出していますが,ところどころに第1波の堆積物が顔を出しています(赤色部;写真5).褐色でややごつごつしている部分は第2波です.
写真6
堆積域の下流側は第2波と第3波が主.柳ヶ瀬付近.平滑な第3波上を歩く(撮影:町田光雄)
第3波は水で飽和されていたため、表面が滑らかになっており、私たちはその上を歩いています(写真6).しかし、第3波は川沿いに限られ、途中から発しているのでごく小規模なものと思われます.
私たちは、山体崩壊から出発した流動体は、基本は水に飽和されず,ブロック構造を残した岩屑なだれ堆積物と考えました.溶岩台地上のシマシマ模様の堆積物はその最初の顔つきを反映したものと考えました.
以上の様に見てくると,溶岩台地上の第1波の堆積物は、岩屑なだれ堆積物の初元的な特徴を見る上で貴重なもので,その内部構造が反映されたものであることが良く分かると思います.そのような流れがどのように下流に向けて変化していったのか,その流動を引き起こしたものは何なのか,などの議論のうえで大事な観察結果の一つであると考えています.
(遠藤,隅田)
引用文献
Endo,K., Sumita,M., Machida,M., and Furuichi,M.(1989) The 1984 Collapse and Debris Avalanche Deposits of Ontake Volcano, Central Japan. IAVCEI Proceedings in Volcanology 1, J.H.Latter(Ed.), Volcanic Hazards, 210-229.
崩壊源(写真1)から直接下る谷は伝上川で,上述の第1波(岩屑なだれ)は伝上川を約2㎞下り西側から下ってくる濁沢(合流後濁川となる)の谷と合流します(図1).
図1
(Endo et al., 1989に基づく)
この時,伝上川と濁川の間にあった平坦な尾根(溶岩台地:中央台地と仮称)の上を第1波が乗り上げてシマシマ模様を残し,乗り上げなかった本体はそのまま伝上川を下って、濁川の谷に入りました.その結果、溶岩台地(中央台地や左岸台地)の上には第1波の堆積物が残されました(写真2,3,図2).この堆積物は赤褐色や灰色,暗褐色、黒色など多様な色合いを示す縞々を呈していました.私たちは卒論生の町田君や古市君らと共に現地調査を行い,空中写真も参考にして溶岩台地上に残されたシマシマの堆積物や濁川、王滝川の谷を埋める堆積物(山体崩壊に発する岩屑なだれ堆積物)の特徴を記載しました.
写真2
中央台地南部の第1波 (撮影:町田光雄)
遠藤
登山客を中心に多数の被災者を出した2014年9月27日の御嶽山噴火はまだ記憶に生々しいですが,1984年9月14日に発生した“御嶽崩れ”もその衝撃の大きさでは劣らないものでした.この大規模な地すべり,あるいは山体崩壊は,直下型地震の長野県西部地震によって誘発され,御嶽山の山頂から南に伸びる尾根の1つが、ほとんど丸々崩壊しました.この卵型の崩壊地形は現在でもほとんど変わることなく残っていて(図1参照),地形図やGoogle Earthなどでも見ることができます.
この450mx1300mの崩壊地形から流れ下った岩屑なだれ堆積物については,昨年の記事で扱いましたが,ここでは視点をかえて,当時議論になった点を3つ挙げておきたいと思います.
1.不安定に堆積している火山噴出物
類似の地形は周囲にもあり,過去に何度も同様な現象が起きていた.
流域としては,伝上川―濁川―王滝川―木曽川と,最上流部の伝上川から濁川、王滝川を経て木曽川の本流に至る(図2).御嶽山の山体に食い込む伝上川は,山体の周囲を掘り下げ,山体自体を不安定化させる.それは,山岳地に位置する火山では,基盤の山の上に火山体が発達するため,斜面に火山噴出物が堆積することになる(御嶽山の場合,標高1000m位の小起伏の基盤山地の上に火山が乗っている).さらに,山体自体が高所に位置し,御嶽山の場合,発生地から岩屑なだれ停止位置までの比高は1600m,距離は約10㎞.
上流部の河川の浸食で,極めて不安定な山体や火山噴出物がさらに不安定化する.1984年御嶽崩壊の前には長雨があって土壌にはたっぷり水分が含まれていたことも誘因の1つとなった.
このように,直下型地震や豪雨によって,山体崩壊が誘発されやすい構造がある. 条件は異なるが,今夏熱海で生じた土石流災害が豪雨によって誘発されたのは記憶に新しい.ここでは最上流部にある造成地が 違法な 状態でつくられていた可能性が指摘されている.
2. 河川上流部にはダム湖が多い
高所から出発する大容量の流れは高速となり,遠方まで達する.
1984御嶽崩壊で発生した岩屑なだれは,高速のまま10㎞先の王滝川に流れ込んだ.王滝川には多くの狭窄部があって,流れは阻止された.しかし,停止地点のすぐ下流にはダム湖の御嶽湖があった.仮に岩屑なだれや泥流がダム湖を襲っていたら,本川の木曽川に影響を与えることは必須である.
高所にある火山体の崩壊には,ダム湖の決壊の可能性とも関連して,留意すべき点が多いとの警鐘が,火山地形の専門家,守屋以智雄氏などによって鳴らされた.
3. クイッククレイ現象
火山灰をサンプル袋に採取して,車に乗って持ち帰ったところ,車の振動によって火山灰は見る影もなくドロドロの泥水になっていた、という経験のある方はおられるだろう.1984年の御嶽崩れの災害では,かなり緩やかな斜面に堆積した火山灰層や軽石層が斜面崩壊を起こした.そこで注目されたのは,厚く堆積していたPM-1(御嶽第一軽石層)とよばれる軽石層ではなく,その少し上の方で火山灰層が滑っていることが多かった点である.すべり面には白っぽい泥水が見られた.よく調べてみると,鬼界・葛原火山灰(K-Tz)という薄い火山灰層が本来認められていたのが,崩壊後露頭をよく調べると,その層準で滑っていることが分かったのである.すなわち地震の激しい振動によって,厚さは1-2㎝もないような薄い火山灰がクイッククレイ化し,すべり面となったことが分かったのである.軽石層や火山灰層が厚く堆積する,御嶽高原など御嶽山の東側斜面で多数発生した斜面崩壊にはこうしたケースが少なくなかったのである.
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