最終更新 2024.01.17
2022.01.21
2021.01.17
おりしも1月1日に発生した能登半島地震で、この阪神淡路大震災を想起された方も少なくないかと思います。実態がなかなかつかみきれない中で、ようやく何がこの災害を引き起こしたのかが、分かり始めています。阪神淡路大震災の教訓もよく思い起こしておく必要があります。
今回の地震活動は、日本海東縁に位置する日本海東縁活断層帯の活動の一環と見られ、能登半島北部から富山沖、新潟沖に100㎞もの長さで続く活断層群で、能登半島北端で認められた地盤の隆起もその延長にあたり、逆断層の活動と見られます。
内灘町では顕著な液状化現象が確認されていますが、新砂丘の下に古砂丘が埋もれており、新砂丘が古砂丘を覆っている斜面で発生した可能性があります。日本海中部地震では同じような地質条件の津軽砂丘で多数の液状化現象が確認されています(「1983(昭和58)年日本海中部地震」の項参照)。
阪神淡路大震災.そのきっかけは淡路島にある活断層,野島断層でした.さらに神戸市内を東西方向に走る活断層帯に波及した直下型地震でした.大都市で発生した初めての地震災害は,特に神戸市内を中心に顕著な震災の帯をつくり,日本中に、また世界にも大きな衝撃を与えました.
震災の帯に発生した,液状化現象による建物の2階が沈んで地下室になっていたこと,神戸市役所の4階が完全につぶれて下の階にくっついていたこと,高速道路が橋脚ごと倒壊していたこと等々,瞼に焼きついて離れません.
あれから早や27年目にあたります.6334人という大変な数の犠牲者が出た背景には老朽化した木造家屋の倒壊が影響したとされましたが,まだまだ同じ問題が残っていると思います.
しかし,我々の地震災害,あるは大規模災害に対する対応の仕方が大きく変わる契機となった災害でもありました.2011年の東日本大震災と並んで,この災害について思い起こしてみることは意味のあることではないかと思います.
2021.01.17
この地震は1995年の1月17日早朝に発生しました.兵庫県淡路島の野島断層から、神戸市内の活断層帯に波及する直下型地震で,その被害の大きさは全国に大きな衝撃を与えました.それから26年目ということになります.
この地震災害は,その後の日本の自然災害に対する対応に大きな影響を与えました.地震の発生メカニズム,活断層をはじめとする基礎的な研究から,災害に対応する社会の在り方に至るまで,そのすそ野は大きく広がりました.6434人という犠牲者の数の大きさには,老朽化した木造家屋の倒壊が大きく影響したとされています.一方では避難や災害ボランティアについてもこの災害が大きな契機になったと思われます.
個人的に思い出されるのは,地震発生後1ヶ月で開催した,「1995年1月17日兵庫県南部地震調査速報会」のことです.日本第四紀学会が中心になって,日本大学文理学部で開催したものですが,26件の緊急報告と12件のポスター発表があり,熱気あふれる討論が行われました.1000人収容の会場が溢れてしまうなど,裏方としていかに多くの研究者がこの災害に研究者として取り組んだのか,その熱意に圧倒されたのを思い出します.
私は陶野郁雄さんに誘われ,大阪のコンサルタントのお世話で,大阪から神戸に船で渡り,地震発生から3日後に調査に入りました.調査の主眼は地盤の液状化や地盤沈下でしたが,移動中に垣間見る,未だ地震直後の生々しい被害の実態を見て,至る所で衝撃を受けました.写真でその一端を紹介しておきましょう.
遠藤
4階がペシャンコにつぶされた神戸市役所の建物:最も衝撃を受けた光景.応力集中による(撮影:遠藤).
地盤沈下により2階が地下室に(撮影:遠藤).
地下鉄の駅が被害を受けて,地上では道路が陥没(撮影:陶野).
高速道路の倒壊(撮影:遠藤).
倒壊した高速道路の橋脚(撮影:遠藤).
落下した高速道路(撮影:遠藤).
液状化現象,低地や埋立地では至る所で発生(撮影:遠藤).
護岸のはらみ出しなど,埋立地では多くの護岸が損壊(撮影:遠藤).
写真は自然災害と環境問題≫地盤災害・斜面災害のページ≫1995阪神淡路大震災被害写真集から転載.
URL:http://www.arukazan.jp/endo/web/foundation-slope/fou-1995HanshinEQ.html
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